これまで大学院や勉学以外で海外滞在中、自分自身の英語ブラッシュアップのため様々な機関で英語プログラムを受講してきました。そうして海外の教育環境に少し触れる中、決定的に日本とはアプローチの仕方が異なるなと感じたのが debate(ディベート)の量でした。

debate とは単なるディスカッションではなくて、ある特定のテーマについて肯定・否定の2グループに分かれ行なう討論のことです。この debate の面白いところが個人的な所見は一切排除され、「はい、君は否定組!」と割り当てられたら徹底的に「否定意見が正しい」ことを証明するロジックを組まなければなりません。

もちろん自分勝手な論理で意見を語る必要があるので、その後は肯定組からの激しい攻撃に対してディフェンスをしなければなりません。討論が加熱すると途中から喧嘩になるくらい激しさを増しますが、僕は非常に好きな形態の授業でした。

海外の人々の自己表現力に感心させられると同時に、論理的にものごとを説明するトレーニングとしては効果的なものだと感じていたからです。


外国で議論されるテーマ

この debate ですが、基本的に取り上げられるテーマは controversial / debatable なものが多いです。例えば、「中絶は違法とされるべきか?」、「安楽死は合法であるべきか?」、「死刑は撤廃されるべきか?」などなどです。

僕が経験してきたなかで最も取り上げられることが多かったテーマ、かつ他国の人々が ‘日本’ とは違う考え方をしていたのが euthanasia(安楽死)に関してです。

「長寿=素晴らしいこと」とされてきた日本では議論されること自体がタブーのような雰囲気もありましたが、長寿国家という結果を生み出した背景にあるのは、単に健康的な食事や健康志向の高い国民性だけにあらずということです。

以前このテーマをあるプログラム中に議論していた際、医師としてメキシコで活動するカルロスさんが「医学の進歩による必要性を問われる延命治療」という切り口から euthanasia の有無について鋭く指摘していました。多くの先進国では日本同様、国民の医療費を国が負担しており、その爆発的に増えるコストが国を悩ませている状況にあります。

それゆえにこれらの国々では、国民の平均寿命が伸びることを手放しでは喜ばず、「その終末期患者に対する医療行為が、次の世代に多くの負担を強いてまで必要なことか?」とかなり突っ込んだ内容で議論されていました。

実際に終末期の高齢者に対する延命医療行為は避けられる傾向にあります。

僕自身高齢者を家族に抱えていること、亡くなった祖父が延命医療を受けるかどうかの選択を迫られたこと(それで父が苦しんだのを見たので)などから、このトピックについては人一倍関心を持ってたので、さきほどのカルロスさんの意見には非常に考えさせられるものがありました。

厳しいことでも議論する風潮にある外国の文化にはすごく驚かされましたし、一方で国民にとっては良いことだと強く感じました。

そんな中つい先日、NHK のドキュメンタリー番組で終末期医療に関して放送されていました。特にこの1年、新聞などでは終末期の延命医療に関するコラムやインタビューなどが増えており、「国が国民に対して議論を促し始めたのかな?」と疑問に思っておりましたので、このNHK の放送はその証拠ではないかと思います。

誰しもが親や祖父母を持つ上で、非常に大事な内容でしたのでシェアしたいと思います。個人的にこの放送で語られていたことは多くの方々に知っていただきたいのと、この放送以降僕自身父親や母親と今後についてたくさん話し合いを設けました。

しかし本当に衝撃的でした。「1度してしまった延命治療は実は途中でやめられる」という事実を知った時は。

NHK シリーズ人生100年時代を生きる(第2回 命の終わりと向き合うとき)

人生100年時代、あなたはどのような最期を迎えたいですか?

93歳の女性です。人生の最期は病院の世話にならず、自然な形で最期を終えたいと家族に伝えていました。

在宅医「救急車はなるべく呼ばないで、私に一報下さって」

誰もが願う、穏やかな最期、ところが異なる現実が。自宅で最期を迎えようとしていた高齢者が、救急医療の現場に次々に運び込まれています。

一度心肺停止になると、ほとんどの場合意識が戻りません。長期間病院で延命医療を受けることになる人が少なくありません。

救急医「命だけは取り留めたけれども人工呼吸器からは外れない。こういう状態が実はたくさんあるんです。そこに直面した時に(家族が)こんなはずじゃなかったと。」

一方、医療技術の進歩によって想定外の事態も生まれています。腎臓病患者への人工透析が90代でも可能になりました。

ところが治療を受けている間に認知症を発症する患者が続出。本人が望んでいるのか確認出来ないまま治療が続いています。

患者の家族「1日でも長く生きて欲しいけど、本人が分からない状態なのに延命をしてもらうのはどうなのかな。」

私達はどう生き、そしてどのように人生の幕を降ろすのか。

100歳以上の高齢者の数(厚生労働省:国立社会保険・人口問題研究所調べ)は

1963年:153人
2018年: 7万人
2025年:13万人
2050年:53万人

もし2050年に人口が1億人だとすれば、200人に1人が100歳という異常事態になります。人生の終わりにどんな医療を望むか?

内閣府・高齢者の健康に関する意識調査によれば回答者の9割が、「延命医療は受けず、自然にまかせて欲しい=胃ろう・人工呼吸器といった治療を受けたくない」と回答しています。

ただ現実はこれらの延命医療を受け、命を繋いでいる高齢者が多いのです。さらに近年医療技術の進歩により、多くの高齢者の方が受けられるようになったのが人口透析


患者の高齢化、医療現場で何が

多くの高齢者が人工透析を受けている、長崎腎病院。血圧の急激な低下を知らせる警報があちらこちらで鳴っていました。透析困難症です。90歳の患者の意識が遠のいていました。

看護師「目開けて、分かる?」

以前は透析困難症が起きると生きていくために必要なこの治療を断念せざるを得ませんでした。しかし、今では医療技術の進歩によって症状をコントロールしながら衰弱が進んだ高齢者でも透析を続けられるようになりました。

看護師「補液しますね」

日本透析医学会調べによると透析患者(80歳以上)の数は1982年182人、年々増え続けた結果2016年時点で6万人。統計を取り始めた1982年に比べ300倍に増えました。

ところが患者の高齢化によって思わぬ問題が増えています。本人の意思を確認出来ないまま透析を続ける事態が広がっているのです。

7年前から透析を続けたある女性は治療を受けている間に認知症を発症しました。

女性は重い腎臓病で透析をしなければ命にかかわりますが、治療のことが分からず管を抜いてしまいます。そのため家族の許可を得て、手袋で拘束して治療をせざるを得ません。

この病院で透析を受けている70人の入院患者のうち約9割が認知症。本人が望んでいるのか分からないまま人工透析が1日4時間週3回続けられています。

長崎腎病院・舩越哲理事長「今の医療技術は進んでいますから、状態の悪い方の透析を継続することができるようになりました。透析のために生きている、生かされている状況になってしまう」

なぜ終末期高齢者が救命救急の現場へ?

(杏林大学病院高度救命救急センター)自宅で最期を迎えたいという願いが叶わない事態も広がっています。

95歳 女性のCPA(心肺停止)

救急医療の現場に100歳近い終末期の高齢者が次々と運び込まれているのです。

この日も自宅から97歳の女性が運び込まれてきました。呼吸が弱くなっていたところを家族が見つけ、慌てて救急車を呼びました。

その後、心停止、医師は自然に命を終えようとしている終末期の患者だと判断しても、救命のために全力を尽くします。心臓マッサージ、女性は一命を取り留めました。しかし意識が回復せず人工呼吸器をつけて命を繋ぐことになりました。

杏林大学病院高度救命救急センター・山口芳裕教授「人工呼吸器を繋いだり色々な強いお薬を使えば一時的に状態を改善することは出来ます。しかしそのことが人生の中で本当に意味があることなのか。実際には多くの場合命だけは取り留めたけれども意識が戻らない。呼吸が戻らないから人工呼吸器からは外れない。こういう状態が実はたくさんあるんです。このところに一番難しさがあるんですね。」

なぜ終末期の高齢者が救命救急の現場に運ばれてくる事態となっているのか?

国は財政が逼迫する中で高齢者を病院から自宅へと移す医療制度改革を進めてきました。高齢者が在宅医などのケアのもと、自宅で最期を迎えることを想定していました。ところが家族が命の終わりかどうかの判断が付かず救急車を呼ぶケースが続出。

結果的に病院で延命医療を受けている高齢者が増えているのです。

つづく。

Source: NHK シリーズ人生100年時代を生きる(第2回, 命の終わりと向き合うとき)